(エジプト観光2日目)

4月5日(木)
空路ルクソールへ、遺跡観光
メムノンの巨像
 今日の見学地のルクソールは昔はテーベといわれ、エジプトが最も栄えた新王国時代(BC1580〜1200年)の首都だったところで、巨大な遺跡が沢山残っている。今回のツアーで期待の大きったところの一つである。3時15分モーニングコールで4時15分ホテル出発し、カイロ空港を6時15分離陸した。窓から見えるエジプトの大地は殆どが砂漠であった。僅かにナイル川のほとりに沿って帯状の緑地帯があるだけだった。後から聞いたら、国土の97パーセントが砂漠で、僅かに3パーセントだけが生活可能地域だという。まさに恵みのナイル河である。
 ルクソール空港に7時10分着陸した。早速ルクソール西岸へ向かい、道路脇に高さ21mの巨大な一対の座像・メムノンの巨像のお出迎えをうけた。像は風化が進んでかなり痛んでいたがルクソールでの最初の遺跡に感激し写真を撮って、ハトシェプスト女王葬祭殿に向かった。
 それは峨峨とした高い岩山の麓に立っていた。3300年前にエジプト最初の女王ハトシェプストが生前に自分のために建てたという、3層のテラスを持ち飾りのない四角い柱を持った現代のビルのたたずまいを思わせる神殿であった。きれいに残っている壁画の説明を聞いていると、彼女が22年の統治の間、通商に力を注いだ有能な王様であったことが実感できた。岩山の裏が次に訪れる王家の谷で、峠に向かって急坂の登山道があり、何人かの人が上り下りして王家の谷へ行き来していた。我々もツアーでなければ歩いて峠越えをして展望を楽しみたい思いがした。

ハトシェプスト女王の葬祭殿


3300年前の壁画

 王家の谷入口に着いたら、機関車型の専用バスで奥深い谷の奥まで運ばれた。

王家の谷の専用バス

岩山をくりぬいて長い通路の奥に玄室を造った立派な岩窟墓が谷のあちこちにあり、現在までに64が発見されており、11が公開されている。ガイドの進言にしたがって、ラムセス9世とラムセス4世のお墓に入ってみたが、入口から玄室までの長い通路の壁はきれいに彩色された壁画で埋め尽くされており見事であった。今でも内部は薄暗い照明があるだけでフラッシュも禁止もされており、太陽の明りの届かないところなので昔の色彩を今も残しているのだろうか。

64の墓が眠る王家の谷


玄室入口

 昼食後金細工の店に案内された後、東岸に向かいカルナック神殿に入った。テーベの主神殿で、新王国時代の王様達が神殿、オベリスク、神像などを寄進してエジプトで最大規模の遺跡となって残っている。すべてが想像以上の巨大さで驚かされたが、中でも、134本の高さ23mと15mの巨大できれいなレリーフが残っている砂岩の円柱が並ぶ大列柱室が強烈な印象を残した。40頭ものスフィンクスが並ぶスフィンクス参道と高さ43mの第1塔門、巨大なラムセス2世の立像なども印象的だった。

スフィンクス参道と第1塔門
 

大きなラムセスU世立像


高さ21mの巨大な列柱

 次いで市街地にあるルクソール神殿を見学した。ここにも、広い敷地に1対のラムセス2世の巨像、7対のアメンヘテブ3世の柱廊などでっかい遺跡が立ち並んでいた。一本の高いオベリスクがあったが、本来はこれも2本で対になっていたものを、友好の印にフランスに運ばれたのだという。そう言えば、パリのコンコルド広場の真ん中に高い石柱が立っていたっけ。

ルクソール神殿入口


7対の大列柱柱廊

 ホテルで休憩し、近くのバザールを冷やかして歩いた後、カルナック神殿の音と光のショーに出かけた。エジプトも夜になるとぐっと気温が下がり、この日は風も強かったので、寒さとの戦いの1時間30分でもあった。英語のナレーションで話しは半分も理解できなかったが、昼間巨大さに圧倒された神殿の印象とは一味違った神々しさを感じることができた。

カルナック神殿ナイトショウ
 
 



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